期待に応える必要なんかない

どうも、きぃコニです。

期待されるって本来嬉しいもののはずなのに、時として大きな足枷になることがあります。

期待に応えなきゃいけない理由なんて、どこにもありません。

誰かが勝手に決めた自分の価値

自分の価値は自分で決めるものです。

通常その結果誰かがあなたを価値を認めてくれるという流れのはずです。

それがいつの間にか、逆転してしまって誰かが勝手に決めた価値に自分を合わせようと必死になってしまうことがあります。

期待をするというのは「こうなってほしい」というものをぶつける行為です。

その「こうなってほしい」は必ずしも自分の意に沿ったものだとは限りません。

でも知らないうちに、それに応えないといけないという気持ちが強くなって無理をしてしまうことがあります。

その時点で期待という言葉を都合よく使った一種のマインドコントロールです。

自分の思い通りになっていないあなたを、自分の思い通り動かしたいだけの場合があるんです。

自分の未来にめいっぱい期待するのは自分がいれば十分です。

その代わり、マインドコントロールを含んだ期待を吹き飛ばせるくらい、努力を惜しんではいけませんよ。

勉強もして、知識を得て、実力を身に着けるようにしないとただの口だけの人間になってしまいますからね。

何も生まない努力

自分の望まない期待をされた場合、それに向けた努力は結果として何も生まないことが多いです。

あなたの努力のかけた時間も、労力も、すり減らした気力も無駄になってしまいます。

誰かが自分に対して寄せた期待に応えられなかったとき、自分に残るものは後味の悪い「期待に応えられなかった」という結果だけです。

自分にとってなんのメリットもありません。

勝手に期待していた誰かは期待というプレッシャーをかけるだけかけて、勝手に幻滅していきます。

「こんなやつだと思わなかった」みたいなことを言って、その期待に応えようとあなたの努力などお構いなしです。

そんなのは放っておきましょう。

大事なのはあなたが何をどうするかです。

私の実体験として言えるのは、

「期待」と「心配」は別物

「心配」「期待」から「幻滅」という言葉は本来出てこないはず

ということです。

言われればなんとなく分かるはずなんですが、何故か一緒になってしまうことがあるんですよね。

「幻滅だと言われるのは心外だ」と言ったことがあるんですが「だって心配だから」って言葉が返ってきたときはどうしようかと思いました。

期待を裏切る、という言葉がありますが、そもそも裏切るも何もその期待に応えて動こうとしているかなんてのは誰にも分からないものですからね。

誰かの自己都合に寄った「期待」なんか応える必要はないんです。

期待に応える必要なんかない

あなたが自分で立てた目標に向かっていくとき、それを応援してくれる人がいるのは嬉しいことです。

その気持ちはありがたく受け取っておきましょう。

ただ、あなたが目標に向かっていく道中で、「心配だから」という大義名分でもって口を出してくるとしたらそれは話が違います。

心配だからなんでもやることに口を出していいというわけではありませんからね。

そんな期待に応えようとすると目標すら見失ってその人の満足する結果だけを追いかけるようになってしまいます。

そんなのは自分がもったいないので、気持ちだけありがたくもらって言うことを聞く必要はありません。

その時点で期待という言葉を都合よく使った一種のマインドコントロールです。

無意識だから余計にたちが悪いです。

「心配してやってるのに!」みたいなことを言われて落ち込んでしまうこともあるかもしれません。

でも落ち込む必要はどこにもありません。

あなたの人生はあなたのものです。

その代わり、最初にも書いたように自分の面倒はちゃんと見れるようにしていないと駄目ですよ。
口出しされたって先回りして「その件はもう過去の出来事。心配無用」と言ってやれるくらいに。

自分の心配は自分でしましょう。

そして自分で自分にめいっぱい期待してあげましょうね。

ではまた。

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